ハンガリーの首都ブタペスト在住の日本人通訳:阿部さんとドナウ川で語り合う
東欧はどこか日本から遠い。
文化的にも地理的にも遠いし、心理的にも距離感がある。だが、ハンガリー人はそんな東欧において、なぜか気質が日本人と似ていると評判だ。
あまり嬉しくない事実だが、ハンガリーも日本も共に高い自殺率で世界的に知られている。そして、物事に対して両者ともに悲観的ではある。
そんなハンガリーの首都ブタペストに移り住んで6年になるのがブタペスト在住の日本人通訳の阿部さんだ。
ご夫婦でこの地に来て、すっかりに気に入ってしまったとのことだ。たしかに、街は美しく、治安もいい。ランチも安いところなら数百円で済ますことができるし、料理もけっこう美味しい。日本のようにせかせかすることも当然なく、ドナウ川を見ながらコーヒーでもゆったり飲んでいれば、それだけで幸せな気持ちになる。
阿部さんいわく、ハンガリー帝国の名残りと共産党の名残り、それに民主主義という異なるポリシーがうまい具合にミックスしているから、ハンガリーはとてもユニークな国に感じるとのことだ。
ルーマニアにいた時も感じたが、やはりヨーロッパはどこの国も「歴史の重み」を感じる。街全体から、そしてそこに住む人々からもそれは感じ取れるが、その重みで人々の思考も多少縛られている気もする。
ハンガリーとルーマニアは歴史的にとても仲が悪く、第一次大戦後、戦争にも発展したこともある。これほど狭い地域に言語体系も民族の由来も異なる民族が多く住んでいれば、争いに発展するのは致し方ないのかもしれない。
そんな東欧の特異の歴史を阿部さん夫婦と語り合いながら、街を案内してもらった。阿部さんたちはこのハンガリーの生活が長くなりつつあるので、ほかの国に住むことも検討しているそうだ。(阿部さん夫婦はハンガリーの前はブルガリアに住んだ経験がある、生粋の東欧通だ)
ブタペストには温泉もあり、物価も安く、とても住みやすい街のように感じた。近年では外貨獲得のために3000万円以上の国債を購入した外国人には永住権を発行している。だから、中国人が大挙して押し寄せているそうだ。それにハンガリーはイギリスのEU離脱によりかなり意欲的な未来を想定している
英国のEU離脱で在留ハンガリー人の帰国に期待-外国企業の投資拡大も- | 世界のビジネスニュース(通商弘報) - ジェトロ
(1)ハンガリーが英国および英国立地企業のEU拠点となる可能性
(2)EU機関が英国からハンガリーへ移転する可能性
(3)英国に暮らす英語に堪能で優秀な人材である10万~15万人のハンガリー人(学生除く)が帰国する可能性。
「ハンガリー、なかなか野心的じゃないか!」とは思うが、悲観的だと言われているハンガリー人のことだから、このようなポジティブな未来を想像している人たちはどれほどいるのか多少不安ではある。
ただ一つ言えることはこれからますます日本からの観光客は増えるだろうし、日本と東欧の繋がりももっと深まっていくだろう。EU圏進出の足がかりにするにはとてもいい国だし、ハンガリー政府も外資の投資を歓迎しているので、これからとても楽しみな国のひとつだ。
ルーマニアの日本語通訳:ルイーザさん
ルーマニアと聞いて、何を思い浮かべるだろうか? ドラキュラ?金髪美女?
あるいはサッカーに詳しい人であるならば、東欧のマラドーナと呼ばれたハジなどを思い浮かべるかもしれない。
多くの日本人にとって、ルーマニアは遠い国であり、縁もゆかりもない国だ。ルーマニアが独自の通貨を持っており、ルーマニアの首都ブカレストはかって「小さなパリ」と呼ばれていたことなど、ほとんどの日本人が知らないだろう。
かっては農業で栄えていたが、現在は工業化に成功しており、経済も1989年に打倒されたチャウシェスク独裁政権の頃に比べれば飛躍的に発展したと言える。
外務省のデータによると、2015年の経済成長率は3.7%、一人当たりGDPは8,906米ドルあり、ほかの東欧諸国と比べると高い水準にあると言える。
ルイーザさんはそんなルーマニアで育った日本語通訳および翻訳家だ。ただ残念ながら、日本におけるルーマニア語のニーズはそれほど高いとは言えないので、今は主に英語の翻訳家として活躍している。
ルーマニアの首都ブカレストから車で2時間半のコンスタンツァに生まれ、2002年より6年間日本に住んだ経験がある。またいずれは日本に住みたいと願っているほど、日本が大好きなルイーザさんだ。 帰国後の2009年より会社を設立し、現在は60名ほど生徒を抱える校長さんでもある。
実際にお会いしてずっと日本語で話したが、まったく違和感がないほど流暢な日本語を操るので、話していてルイーザさんが外国人であるということを忘れてしまうぐらいだ。
ルーマニアはハンガリーやブルガリアに比べて観光資源が多いと言えず、知名度も大きく劣る。 だが、首都ブカレストは思った以上に整備され、さすがはかって「小さなパリ」と呼ばれていたことがあるほど美しい街だった。 個人的に話してみて印象的だったのは、ルイーザさんが日本語を学んだきっかけに、イギリス人作家ジェームズ・クラベルの「将軍」をあげたときのことだ。共産党時代に隠れて読んでいたらしく、見つかったら大変なことになったかもしれない。
そして、いつ終わることもしれない共産党一党独裁体制のなか、遠い東洋の島国のことが書かれた小説を読む気持ちは、きっと日本人の僕たちには理解できないだろう。 当然、今の日本は「将軍」の時代である江戸時代の面影などなく、サムライも着物を着た日本人もほとんど見かけない。
現在の首都ブカレストにいても、東京に比べると本当に田舎だと思うし、人口密度の低さがむしろ心地いいくらいだ。 現在ルーマニアは東欧のなかではポーランドに次いで日本語熱が高く、ブカレスト大学には日本語学科があり、国内では1500人以上の人たちが熱心に日本語を学んでいると言われている。
日本からこんな遠く離れた地でも日本の文化は語り継がれていて、しっかりとその文化を学びこれほどまでに流暢に日本語を操る通訳の方がいることにとても興奮した。
ヨーロッパに住む日本語通訳の方々に突撃インタビュー
海外に住んでいる日本語通訳って、どんな人なのだろうか?
素朴な疑問だ。上記サイトを運営していながら、知らないことが多すぎるし、また正直知らない人たちを他者に勧めることは当然ながらできない。
だから、2週間ほどかけて、ヨーロッパ7カ国をめぐり、実際に会って彼らの人となりを知るためにインタビューしてきた。ある通訳の方とは半日も一緒に過ごし、また違う通訳の方とは時間の都合で駅でお会いし、駅で別れた。
まずはルーマニアのブカレストに日本から飛び、ルイーザさんというルーマニア人の日本語通訳とお会いした。
そして、翌日にハンガリーの首都ブタペストに移動して、安部さんと奥様とお会いして、ランチを一緒に食べた。
ブタペストからウィーンで移動する途中にスロバキアに立ち寄り、オンドレイカさんと駅のカフェでお茶をした。
それからオーストリアの首都であるウィーンに移動して、日本人とオーストリア人のハーフである平岡さんとお会いしてウィーンの街中を一緒に散策した。
そして、ウィーンからパリに飛び、日本のテレビ局の通訳をよくするという亀島さんとお会いした。
パリからロンドンにユーロスターで移動して、同時通訳もする坂井さんと平松さんとパブでビールを飲みながら歓談した。
ロンドンからバルセロナに飛び、元ピエロのカタリーナさんとお茶をした。
バルセロナから高速鉄道に乗って最終目的地のマドリッドに移動して、ダビッドさんとコーヒーを一緒に飲んだ。
それから、マドリッドに35年住んでいる小島さんとお会いしてタパスを一緒に食べた。
日本に帰国する日の午前中に小南さんとお会いして、一緒に朝食を食べて買い物に付き合ってもらった。
ネットの世界は虚構だ。
だから、それをいかにリアルにするかがネット上で展開するサービス提供者の役目だと思う。
どの日本人通訳の方々も個性的で魅力に溢れ、ヨーロッパという異国の地でしっかりを根を下ろして生活している。またヨーロッパという異国の地で日本語を学び、実際に日本に来日して、日本の習慣を学んだ外国人通訳の方々だ。
すでに本サイトには130名以上の日本語通訳の方々が登録している。そして、その全員の方々と会って、このブログで彼らの人となりを紹介して、「海外で生活する日本語通訳とはどういう人たちか」を語っていきたい。